共に学び、共に暮らす。〜インドアシュラム生活 vol.8〜

2018年07月04日

こんにちは。

シュリカリアシュラムの今シーズンは5月末で終了し、その後は私自身はアシュラムでゆっくりと過ごしてきました。

ゆっくり過ごすといろんなことに気づくものですね。色々な音、風、空模様。時の流れ。

今シーズンのシュリカリアシュラムは3月から人が増えてきたので、ハリドワールにあるパイロットババアシュラムをお借りしていました。ハリドワールには本当にたくさんの「アシュラム」があります。その形態はさまざまのようです。

このパイロットババアシュラムには、ある時期、とてもたくさんのインド人達が宿泊していました。洗濯する量(サリーの長い布を想像してみてください)がとても多いので水不足になったり、敷地内がまるでお祭りのようになったり、朝も夜も時間を気にせずチャンティングしていたり。インド人滞在者が多い時のエレベーターはなかなか面白かったです。降りる時にドアをこじ開けながら出てくる人たちがいるのでエレベーターは頻繁に故障したり、エレベーター内で携帯で音楽聞きながら君も聞いてみなよとイヤホンを私の耳にあててくれる少年、次にこの少年にエレベーター内で会ったときは、ピンクの正装姿でとても満足そうな笑みを私に見せる。

ハリドワールに来て気づいたのが、インドには「アシュラム文化」というのが残っているということです。グルがいて、そのグルがみんなのために集える場を提供している。また、グルが亡くなってしまっていても、継承者達のお世話によって人々はアシュラムに来て教えを授かることができる。日本の観光仏教のようにインドのアシュラムも観光的になってるところは否めませんが、師の元で「共に学び、共に暮らす」という文化は貴重だなと思いました。

Shri Kali Ashram も「共に学び、共に暮らす」ところです。世界中から色々な人が訪れているので、みんな多種多様な生活スタイルや人生観を持っています。みんなが求めているものがここにあり、いや、求めていたことに気づかなくても、とても深くて大切なものに触れてしまって「こういうことだったのか」と自覚したりします。シュリカリアシュラムの伝統的な学びを通して、人生の土台が築かれ、アシュラムにいる時もアシュラムにいない時も、私たちはその教えを基盤にして前進できる。

日本には、仏教があり、密教があり、神道があり、本当に素晴らしい精神哲学があります。でも、習慣だけ残っていたり、観光化してしまったり。しかし、精神哲学の中身を、科学を、美しさをシュリカリで学ぶことによって、自分や自分が生きているこの世界が計り知れない豊かさの一体であることに気づきます。

「女神サラスヴァティー」ひとつとっても、シュリカリでの学びは奥義にせまる。インドの神様たちは、日本の仏様や菩薩と違いとても色鮮やか。そんな色にも意味があり、神様が手にするものもその神様の特徴を象徴しています。インドの女神サラスヴァティは、日本では弁財天。

サラスヴァティーは、私たちにいつも神聖な学びを授けてくれる。こんなことを私たちが ”心” から理解できるように教えてくれているのが シュリカリの師匠 Bhagavan。

受験合格などのために神様にすがるのではなく。

サラスヴァティーは、いつも私たちのそばにいる。

ありがたいですね。

朋子